2009年6月11日 (木)
【宏究学舎】【自主ゼミ】などのお知らせ(6月第2週から3週にかけて)
《ご連絡》
梅雨っていえば梅雨空です。しかし、この時期の雨は、田んぼにはいい雨です。空からの清冽な水分が、稲に注がれ、稲の心をしゃっきりさせてくれます。
でも、この雨は、世界の東辺の列島に住むわたしたちには、憂鬱なものでもあります。温帯モンスーン気候。この湿り気は、気分を重くさせるときもしばしばです。ただしものは考えようで、「人間、曇っているときもあれば、照っている日もあるさ」です。「晴耕雨読」の気分で、本を読んでみるのにいい季節かもしれません。
さて、今週の【宏究学舎】(6月13日・土)は、いつものように尾山台地区会館で14時30分からです。今回のテーマは第5章の「児童の発見」です。近代において「子ども」は発見されたというわけですが、一時期、阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』がよく読まれていたころ、子どもをめぐる伝説が、ブームになったことがあります。神隠しやさまざまな伝承のなかに、人びとの深層の心理がうごめいている。子どもを考えることは、いつの時代もその時代を映す鏡として大事なことなのかもしれません。
つぎに【自主ゼミ】ですが、こちらの方は、6月15日・月、これもいつものように池袋の勤労福祉会館で19時30分からです。今回のテーマは『軍部とは何か?』です。日本の近代史における「軍隊」は、その構造や兵士の生活、将校やエリート参謀などの行動意識や思考回路などに、近代日本人の差別の構造や心性、さらに日本人の気質などが色濃く投影されたものでした。そんなことを具体的には、昭和恐慌以降の軍部台頭の時代背景をふまえてお話しします。自主ゼミも今回で中日を過ぎ第六講です。
最後に、7月4日の「わだつみ会(日本戦没学生記念会)」主催の講演会のビラが刷り上がりました。参加希望の方がおりましたら、ご連絡ください。可能であれば、メールにてビラを送付します。
6月 11, 2009 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座, 3. 宏究学舎 | Permalink
2009年6月 2日 (火)
次講のガイダンス:【自主ゼミ】【宏究学舎】
【2009年度夏学期自主ゼミ】
昨日の【自主ゼミ】~「大東亜共栄圏」の思想と現代第四講では、関東大震災と恐慌の歴史的背景を検討しつつ、大正デモクラシー以降の歴史的「問題」について論考しました。
日比谷焼討ち事件や米騒動などを一つのスプリング・ボードとして、さまざまなかたちで民衆が社会表現をおこなっていた「大正デモクラシー」と云う社会諸相については、第三講で論考しましたが、それをふまえて、なぜそういったムーヴメントが、十数年を待たずして軍国主義や膨張主義へと急速な変容をとげたのか。関東大震災と恐慌によってもたらされた民衆の意識の変容を、経済的没落感を視座において考えてみました。
しかし、質疑応答でもあったように、この変容を、ただの経済的側面を要因とする結論に導くつもりはありません。さまざまな社会事象の複合的な視座が要請されているのはもちろんです。次講は、大陸への進出についてがテーマですが、なぜ人びとは大陸へと希求したのか。この時代のアメリカ大陸への移民の問題も含めて、政治権力から民衆におけるマインドの問題まで論考してみたいと考えています。
次講は6月8日(月)、会場は池袋勤労福祉会館で時間は19時30分からです。なお、今回は課題はお配りしましたが、提出期限は一週間ずらして、6月14日(日)の午前中までお願いします。
【2009年度夏学期宏究学舎】
先週で、ほぼテクストの半分を読み終わったことになります。次講は、Ⅳ「病という意味」を扱います。いわゆるこれまで自明のものとされてきた私たちの感性や情緒といったものが、近代国民国家が形成されていくなかで、必然的に「発見」され「意識化」されていった状況を論考してきましたが、もうすこし、それはなぜなのかという視点に踏みこんで、次講からは論考する必要のあることを感じています。次講の発表者は、その点も含めて論考していただければと思います。
次講6月6日(土)、会場は尾山台地区会館。時間は14時30分です。
6月 2, 2009 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等, 2. 東大自主ゼミ講座, 3. 宏究学舎 | Permalink
2008年7月13日 (日)
東大自主ゼミ終講と【very50】講座の件
7月7日をもって東大自主ゼミ夏学季講座『特攻という「課題」』は12講義を終え終講いたしました。今回の講座は、「特攻」を哲学的視座から「罪責」として捉えなおすことで、現在の私たちを囲繞する社会状況を再度問い直そうとする試みでした。「特攻」の歴史的経緯をさまざまな史料から追いつつ、それとともに、なぜ戦後の日本人が、「内なる罪責」として戦争および「特攻」を捉えてこなかったのか、テロと「特攻」との差異化や「特攻」を殉国の行為として麗しく語ることで、いかに多くのことが不可視化されたのか、そうした問題を「靖国」および「わだつみ」批判を軸に展開して参りました。受講生のみなさんには、12回の講座中、レポートその他でさまざまな意見をおよせいただき、講座自体もたいへん盛り上がった内容になりました。深く感謝申し上げます。
なお、こうしたゼミについては、機会があれば、今後も展開していきたいと考えています。現在私がテーマとして取り組んでいるのは、この『特攻という「課題」』のほか、2005年に同じ東大自主ゼミで行った『「他者」としての日本~〝ジャパニゼーション〟という文学』、『現代若者論~失われた世代』、『福澤諭吉を読みなおす~時代を貫く教育のあり方』などです。もちろん自著に関するものや近代現代の歴史思想など、さまざま論考しているテーマはありますが、今のところは、この9月13日(土)から開講される宏究学舎での【マルクスの『経哲草稿』を読む】でのゼミで、さまざまなアプローチを受講生のみなさんと展開していきたいと考えています。その節は、よろしくお願いいたします。
さて、昨日は【very50】の講座の第二講を行いました。消費とフェミニズムをめぐるテーマ(拙書『「感動」禁止!』第三章を中心とした考察)でお話ししました。多くのみなさんの活発な討論をいただき、感謝申し上げます。次講7月26日は、最終講となります。テーマは「教育」と「場(トポス)」の問題です。私たちにいま理念や生き方をともに会話・対話できる「場」は果たしてあるのか。あるいはどうすればそうした「場」を形成できるのか。そうした問題を語り合えるような講義内容にしていきたいと考えています。それと、昨日、この講座のため、お世話いただいた【very50】のスタッフのみなさんにも感謝申し上げます。有難うございました。これもよろしくお願いいたします。
7月 13, 2008 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年7月 5日 (土)
自主ゼミ最終講のお知らせ
東大駒場キャンパスの自主ゼミ講座も、次講七月七日で終講です。
この日は七夕ですね。夜空を見るときらめく星座が瞬き、地球という規模の、さらに日本というカテゴリーの、そのまた自分のせいぜい1メートルくらいの視野の狭さに、がっかりするくらいの失望と矮小さを感じてしまいます。
ただし、今回のゼミの収穫は、たいへん大きかったように思います。まずは、なにより学生だけのものに堕さなかったこと。さまざまな意見交換がなされたこと、毎回のテクストに対する「感想」という思想的営為が、卓抜だったことがあげられると思います。そんなことを思いつつ、最終講を迎える私自身の思想的営為が問われることを、まずは自身の内面に深く刻みながら、七月七日の最終講に向かいたいと考えています。
次講最終講のレジュメは、これまでの講義の核になる部分について、お話しするつもりですが、受講生各位が、おそらくは思っていることが非常に多いかと存じます。そうした部分についても十分に議論できるように、講義内容をアレンジしていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
それと、私の講演予定としては、7月12日と7月26日の土曜夜には「very50」での、自著『「感動」禁止!』についての講座があります。そちらの方にも、ぜひご参集いただければ幸いです。(very50 http://www.very50.com/top.php)
7月 5, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年6月29日 (日)
明日第十一講のお知らせと昨日のお礼
またまた連絡が遅れましてすみません。明日6月30日(月)も予定どおり自主ゼミを行います。今回のテーマは前講でお話しした『わだつみ』の問題をふまえて、「戦争加害責任」について、1960年以降の動きを押さえつつ論考していきたいと思っています。「特攻」が戦後の言説のなかで、右翼的国家主義に収斂していく状況なども論考してみたいと考えています。
ところでゼミもこれまで十講が終了し、あと二講を残すのみになりました。そこで前講の際、ゼミ委員からアナウンスがあったかと思いますが、明日講義終了後、6時30分から渋谷でゼミコンパを開催するとのことです。場所等などは、明日連絡があるかと思いますが、これまでの講義への質問や問題の所在などについて、食事をまじえてお話しできれば幸いかと存じます。よろしくお願いいたします。
それと、昨日【very50】の講座には、多くのみなさんにお集まりいただき、ありがとうございました。この講座は、ともに土曜日の7月12日が第二講、7月26日を第三講として、連続講義というかたちになっています。昨日は、活発な討議がなされて、たいへん充実した時間をすごさせていただきました。受講生のみなさんおよび関係スタッフのみなさんにお礼申し上げます。
6月 29, 2008 0. 緊急のお知らせ, 1. 講演予定等, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年6月21日 (土)
6月23日第十講の連絡とvery50、宏究学舎秋季講座について
<東大自主ゼミ第十講について>
次講6月23日の第十講は、戦後の「特攻」の言説についての第二回目の講義となります。今回は、戦没学生記念会「わだつみの会」の戦後の軌跡を追いながら、戦後における「特攻」の意味を論考したいと考えています。前講での質疑応答で、知識人の「戦争責任」と政治家や軍部の「戦争責任」の位相と、その重さについて、より明確に分析すべきという議論がありました。私としては、政治家や軍部指導者は国民を先導しているようで、実は国民との一体化をはかることによって、戦争を遂行をする側面が大きいと考えています。知識人は、その特性である「説得力」で国民を鼓舞し、それが自己の保身につながるという意味で、「責任」の質が私的利益に結びついた要素が大きいと考えられます。そうしたことも含めて、次講では論考を深めたいと思っています。
<VERY50での講義について>
それから6月28日(土)から各週で、very50という団体で、自著である『「感動」禁止!』の講義を行います。この本は、現代における「消費」というテーマで書いたものです。ぜひお読みいただき、その内容や状況への積極的な討論等をつうじての講座に、ご参集いただければ幸いです。詳細は下記にHPのアドレスがありますので、ごらんください。
http://www.very50.com/GSS/top.php
<宏究学舎・秋季講座について>
次に、今年度も宏究学舎を開講します。期日は9月13日(土)を初講日として全10講座行います。テクストは、カール・マルクス『経済学・哲学草稿』(岩波文庫)の予定です。詳細については後日(8月中旬)に掲示いたしますが、テーマは、現代社会における「人間疎外」です。初期マルクスのテクストとして長らく読まれている『経哲草稿』(略)には、ハンナ・アレントによる批判的な意味での摂取の仕方がある一方で、すぐれて直接的に現代的状況の予言と読み取ることも可能です。いまもう一度、このテクストを読みとる意義は少なくないと考えます。多くのみなさんのご参集があればと存じます。
6月 21, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座, 3. 宏究学舎 | Permalink
2008年6月12日 (木)
講演会のお礼と第九講について
6月7日の雨宮処凜さん、辻元清美さんとの講演会には、多くの方々においでいただき、ありがとうございました。また、学生スタッフのみなさんの企画運営もたいへんよかったと思います。当日は、お疲れさまでした。
今回の講演で、わたし自身話しながら感じていたことは、「働く」ってことは、どんなことなんだろうかということでした。労働の対価として金銭を得、それを生活の糧とする。その労働への対価が、ここのところ劣悪な状態である。社会的弱者が増産され、その苦境から抜けきることが出来ず、忍従の日々を強制されている。その地点への問題意識から、先日の講演会は、その意識の共有と、その脱出の方途の模索のためにあったのだ、ということはまったくその通りなのですが、では「働く」ということは、生活するための経済的な領域に止まっている問題なのだろうか、という疑問を、あの会場でわたしはずっと抱いていました。
わたしがそこで考えていたことは、「働く」ということは、その個人が自らの肉体や精神というものの活動を表現手段として媒介させながら、自己を取り囲む「社会」、でなければ「周囲」への時間的空間的な「働きかけ」をすることにこそ、意味があるのではないかということでした。わたしが見るに、請負や非正規労働の搾取の最大の「罪責」とは、この地点にあるように思うのです。労働の対価あるいは評価が、金銭に換算されること自体、マルクスのいう「人間疎外」に外なりません。人々が、自己の暮らしの生命維持としての「労働」に埋没し、思想をその地点から構築していく愚かさを、ハンナ・アレントは「活動」という言葉で対置しながら語っていますが、現代的ハイパーエコノミズム(超金融市場利潤成果主義とでもいうべきでしょうか)のパラダイムにばかりとらわれている「労働」の問題に、人間があるべき志向性とわれわれを柔らかく包み込む環境という視点を注ぎ込む必要を、わたしは感じ取っていた次第です。「働く」ということは、文字通り、われわれの外に「働きかける」ことではないか。そうした言葉の真の意味に、「労働」という言葉を再生させる必要を感じていました。
そう考えると、企業が広告宣伝、企業イメージのため、環境を意識している、そのための援助をしているという現在的なありように、わたしは強い違和感をもっています。ほんらい、こうした問題は、企業の活動から切り離し、何も対価を求めず、拠出されるべきものじゃないかと考えます。こうした功利主義的発想は、個人の人間としての「活動」を無意味化させる企み以外の意味をもちません。
ところで、話をかえます。自主ゼミも6月16日で第九講を迎えることになりました。ここから戦後の「特攻」への言説を論考することになります。大熊信行は『国家悪』のなかで、日本という国家および日本人個人の身体の襞にまでしみ通っている、思想的な無責任と一過性的な非歴史性を追求しています。しかしながら、大熊の鋭い批判は、なんども同様な批判がくり返されてはいるものの、なかなか定着していないのが現在の状況のように思います。第九講以降は、批判は批判として、なぜ批判性が時代の転化点を形成しえないのかの問題を、丁寧に論考して行ってみたいと思います。最終講義まで、あと数回を数えるのみです。受講生の方々には、これまでの講義や論考をふまえて、さらなる思考性を模索していただければと存じます。
6月 12, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年6月 9日 (月)
6月9日第八講について
連絡が遅れてすみません。明日6月9日は、第八講目に入ります。
今回のテーマは、「一億特攻」と呼ばれた「特攻」の日常化について考えてみます。新聞紙上を見ると、1944年10月の関大尉以下の「特攻」の記事は、思ったほど大きく取り扱われていません。実際の出撃は290回ほど実施したのですが、そのうち発表されたのは71回でした。その理由は、戦果が上がってないという現実が一方にあるのと、毎度「特攻」では、いかにも負け戦、劣勢なのは明らかで、「特攻」は、いわば国民への興奮剤であるという効能を減少させる恐れが大本営にはあったからと思われます。そのなかで、国民はこの「特攻」をどのように捉えていたか。その辺りも論考します。
6月 9, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年5月31日 (土)
6月2日第七講について
自主ゼミも過半を過ぎ、特攻の「現実」について前講から論考しています。前講は、レイテ海戦における関行男大尉の特攻出撃に至る問題性を、軍神や捕虜などの問題性と絡めて考えてみました。次講では、その後の特攻作戦のありようについて、沖縄戦で大量投入された特攻の現実を考えてみたいと思っています。
人間を弾丸にかえて死を強制する作戦は、そのものが「悪」以外の何ものではありません。しかし、どうしてそれが「罪責」として捉えられなかったのか。そこに「この国」の国家、民族、民衆、しくみ、精神などさまざまな問題性がひそんでいるわけで、したがって現象面のみを捉えて論ずるのではないところに、現代に通底する問題の因子が存在すると言うことができると思います。本講座は、ただ単純に特攻の悲劇を伝えようというものではありません。受講生のみなさんには、この点はすでにじゅうぶんに認識されてきていると思いますが、今後もさらなる論考を重ね、いま自分たちの足下にわだかまっている問題性を追求していきたいと思います。
5月 31, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年5月24日 (土)
5月26日の講義について
前講では、「主情主義」が生む病いということで、日本における「死」をめぐる政治性、「美意識」と「抒情」のネジレ関係について論考しました。理解しにくいテーマだったかもしれませんが、「特攻」を「罪責」としてとらえ直し、その上で「テロリズム」との位相、「国民国家」としての日本近代における国家主義などの論考とともに、この自主ゼミのもっとも重要な論考のひとつだととらえていただき、レジュメなどを再度ご覧いただくと、今後の具体的な「特攻」作戦の変容がたどりやすくなるかと思います。
次講第六講は、特攻という「現実」について(その1)と題し、レイテ海戦における関行男大尉の特攻作戦における「現実」について論考します。いったい「特攻」という概念はいつ頃生まれたか。「軍神」の存在や「捕虜」の概念、それと特攻隊生みの親と目されている大西滝治郎司令官が指揮したとされる重慶爆撃の問題も絡めて、なぜ若きパイロットは「特攻」に出ていったのか。そうした論考も行います。これまでの論考をふまえて「特攻」の意味についての総合的な講義になると存じます。よろしくお願いいたします。
5月 24, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年5月19日 (月)
次講5月19日の講義について
次講5月19日の講義は、いつものようにおこなわれます。連絡が不十分ですみませんでした。次講は、「抒情性と国家、そして特攻」がテーマとなります。今回で第五講となり、前講から引き続いて講座の中では、もっとも重要な問題が論考される予定です。次次講5月26日からは3講義とも、具体的に「特攻」がおこなわれた状況についての講義となります。
まずは、問題意識をもって講座にご参集いただければと存じます。明日は雨のようですが・・・。
*ちなみに今週の『週間金曜日』の「こんなことやってます」のコーナーに自主 ゼミのことが掲載されていました。お読みいただければと存じます。
5月 19, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年5月 7日 (水)
次講5月12日の講義について
連休中は、あまりぱっとしない天気でしたが、受講生のみなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか。前講では「戦争とテロリズムの相関」というテーマで、おもにテロと特攻についての講義をいたしました。講義でもっともわたしが心を砕いたのは、テロと特攻の異同をふまえて展開される論理の矛盾についてでした。言い換えれば、相対的な視点にとらわれると、テロと特攻はここが違うから、テロが悪で特攻は正義であるとする論理、同じようなものだから無駄死なのだという安易な結論への連結、その結果、双方に内在する問題を深く掘り下げることなく、ただ問題の結論のみが言説となってしまう問題性をお考えいただきたいということでした。
次講はそうしたことを含めて5月12日(月)に「圧縮された近代国家の形成」というテーマで、そもそも特攻というきわめて理不尽な作戦が敢行された日本における「近代国家」のありようを考えてみたいと思っています。受講生のみなさんには、あらかじめ『近代の超克』における座談会のテクストをお渡ししていると存じます。なかなか読みづらく、いったい何を話し合っているんだろうという感想をお持ちの方も多いかと存じますが、1942年のこの時期にこうしたことが当時の日本の知的エリートと称される人物によって語られたことを、どのようにお感じなるか、その点の短いコメントを寄せていただければ幸いです。
以前もお話ししたかと存じますが、毎週お願いしているコメントは、なにも論文やご意見などを開陳していただきたいというものではなく、あくまでも講義の準備として、受講生のみなさんの印象といったものを、相互に交換したいという趣旨のものです。今回も大量な文章をお寄せいただいた方がいらっしゃいますが、まとめその他に手が取られますので、できるだけ簡潔にお願いしたと存じます。よろしくご協力ください。
5月 7, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年4月24日 (木)
次講4月28日の講義について
4月21日はお疲れさまでした。前講では、「特攻」という問題を「罪責」として考えるとして、その思想の基盤を論考しました。ハンナ・アレントやカール・ヤスパース、テッサ・モーリス=スズキなどの言説を引きながら、自己自身が歴史的存在であり、強く他者性を意識せざるをえないという地点から論を展開してみました。ここでの講義は、ある意味、この東大自主ゼミのもっとも重要な思想的根拠を示したものになるかと存じます。不明の点などありましたら、メール等でご質問いただいても、また次講以降、お聞きくださっても可能です。ともに哲学的な命題にひるむことなく取り組んでいただければと考えています。
ところで、次講は4月28日です。このあたりは連休などがあり、何かと世の中が定着しない状況だと思いますが、その翌週の5月5日は休講となりますので、ちょうど全体の4分の1が終わったことでもあり、これまでの講義内容も含めて見返すには丁度いい講義になるように思います。テーマは、前回お渡ししたテクストの大貫恵美子の『学徒兵の精神誌』などをふまえての「テロと特攻」についてです。さまざまな問題を含むテーマなだけに、受講生のみなさんの積極的なご参加をお待ち申しております。
4月 24, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年4月19日 (土)
自主ゼミ教室の件
連絡させていただきます。教室は5号館の532番教室です。前回受講されたかたは同じ教室です。新たに参加されるかたは教室等、お間違えのないようにお願いします。
それとテクストのコメント(意見・感想)の件ですが、今後も10講義にわたってコメントをいただきますので、できるだけそぎ落として短めの文章でお願いします。いま現在では、学生諸君のコメントがあまり届いていない状況です。しっかり対応をお願いします。
4月 19, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年4月15日 (火)
初講のまとめと次講(4月21日)について
初講日は、お疲れ様でした。
初講では、講座内容の説明と運営についてお話ししましたが、毎週末ごとの簡単なレポートの提出については、よろしくお願いします。ただし、あまり長い文章ですと紙量の関係で講義にフィードバック(feedback)することが、厳しくなったりしますので、できるだけ簡潔でお書きいただけると幸いです。
ところで、初講では『「特攻」という課題』という講座名について、とくに「課題」とする意味についてお話いたしました。日本という国は、世界で最初の被爆国である一方で、世界で最初に人間を弾丸代わりに使用した、あるいはそうした戦術を実行した国家であること。被爆国としての認識は、意見の左右を問わずひろく理解されていますが、「特攻」作戦という戦術を生んだことへの深刻な「罪責の認識」が、戦後の「特攻」にまつわる言説をみても、十分に認識されてはいないのではないか。そこをまずは基点において、今後の講義を展開していきたいとお話いたしました。そのためには、初講日でお配りした書籍一覧等などの膨大な資料をふまえての論考、国家と抒情性の問題、また2001年の世界同時多発テロの発生以降の「テロ」と「特攻」の相関や現在のこの国の階級社会・格差社会の危うさなどの現在的な諸問題についても、「特攻」という基点からさまざまな論考をはかっていきたいと考えています。今後、講義内容について、論理的に複雑になることも予想されますので、適宜討論の時間などを設けます。その際には学生諸君ともども受講されているみなさんの積極的な発言をお願いします。
それでは今後ともよろしくお願いいたしますとともに、前講でおわたしした『紫電改のタカ』(週刊初年マガジン)と『知覧特別攻撃隊』のテクストの読み取りをお願いいたします。
*追記:人数にはまだ若干の余裕(3人ほど)があります。歴史社会学、あるいは社会哲学の学問領域に関心をもち、こうしたテーマで論考をはかってみたいと考えている学生諸君の参加を歓迎いたします。
4月 15, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年4月10日 (木)
自主ゼミの教室の件
4月14日(月、16時20分~17時50分)が初講日となる自主ゼミの教室が決まりました。東大駒場キャンパス5号館の531教室(5号館の3階になります)です。ただし、当日になって、ほかの授業の兼ね合いで別の教室になる場合もあるようです。そのときは、教室に掲示をしますので、各自ご確認いただければと存じます。
ちなみに今日(4月10日朝刊)の朝日新聞<東京マリオン>の紙面で、自主ゼミの案内が出ています。
4月 10, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年4月 8日 (火)
自主ゼミについて
4月に入って、世の中もなんとなく動き出した感じです。それにしても最近交通機関の人身事故の多いこと・・・。春になると何かと偶然性(accident)が人間を支配する運命なのか、その点はわかりませんが、いずれにせよそれぞれの学校で新学期が始まり、新入社員が同じようなスーツを着て集団で右往左往したり、新歓コンパで酔いつぶれいる大学一年生の姿を見るにつけ、この時期が一年でもっとも「ハレ」の日々なんだなと思わざるをえません。
ところで自主ゼミは4月14日に初講日を迎えます。今回の講座は『「特攻」という課題』というものですが、戦時中の「特攻」作戦の解説、いわば「特攻」の歴史的講座ではないかという問い合わせをいただきました。
ことわっておきたいのですが、この講座は「特攻」の歴史的な解釈を講義するものではありません。むしろテーマに「課題」と入れたように、戦時中に行われた「特攻」という作為が、その作為性に内包された問題性をしっかりと認識することもないまま、おざなりにされていることをまずはふまえて考えたいと思っています。そして、戦後になって経済至上主義の社会が「富国強兵」政策と変わることなく形成され、その結果、現在においても散見するように組織が個人を圧倒し、個々の感情や情緒までを「空気」としてとりこんでしまっている現実を論考することに目的があります。
たとえば以前から問題となっている過労死の問題でも、企業責任が明確にもかかわらず企業はなかなかその事実を認めようとはせず、組織の論理で個人を圧迫しようとします。そこには組織に頼っていれば安泰だという信仰が大手を振っている現実があり、人びとが組織や集団から離れ個人としていかに生きるべきかという根源的(radical)な問いがほとんど閑却されている状況が見てとれます。
ハンナ・アレントは、これこそがナチズムを生む温床と捉えました。彼女は『人間の条件』という本の中で、自己の生命維持のためだけの「私的領域」という閉域を超えた「公的領域」を意識させるとともに、その閉域を破砕するものとしての「活動的生活」の意味を提起しています。個人の根源的な問いとは、個人が独占し「私」するものではなく、人間の生存の意味として開かれていなければならない。それがアレントの言う「公的領域」の意味です。「損得」などにしか意味を見いだせない功利性や「生き残り」をかけるなどといった組織防衛的な意図を私的な情緒で粉飾するありようは、個人という根源を亡き者とする企みのように思えます。
この講座で展開したいのは、「特攻」というものが国家や軍部あるいは世間といった組織性のなかでどのように生みだされ、またその組織性のなかで個人がどのようにつぶされていったのか、あるいは特攻隊員となった個人が、組織の圧迫のなかでどのように変位していったかを基盤において論考するものです。そんなわけで「特攻」の歴史をなぞるわけではなく、また特攻隊員の遺書を「戦争反対」の小道具として立論する意図もありません。以下のような括りは好きではありませんが、歴史社会学的な考察を展開したいと考えているしだいです。
なお、教室は駒場キャンパスの5号館か7号館になると思いますが、まだ確定とはなっておりません。遅くとも11日(金)には確定すると思います。多くの方々のご参集をお待ちしております。・・・といっても資料その他の準備があり、ある程度の人数になったら、お断りするかもしれません。
あらかじめゼミ委員の八木くん:akoto.asmy@jcom.home.ne.jpに申し込みを宜しくお願いします。
4月 8, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2008年2月11日 (月)
2008年東大自主ゼミ開講のお知らせ
【2008年夏学期、東大自主ゼミを駒場キャンパスで開講します!】
久しぶりに東大自主ゼミを開催する運びになりました。ちょうどまる2年間遠ざかっていましたが、この2008年度の夏学期に、『「特攻」という問題』というテーマで開講します。このテーマは、わたしがこの数カ年追いかけていたテーマです。なぜ「特攻」作戦は生まれたのか。なぜ若者は「特攻」にむかったのか。なぜ「特攻」攻撃に民衆は熱い賞賛を送ったのか。「特攻」を敢行した国家や軍部の論理はどこにあるのか。そうした問題を、戦後における「特攻」の言説にひそむ問題性と絡めて「特攻」のすべてを全十二講座で論考していきます。
受講希望の方は、学生委員の下記の連絡先にメールして受講申し込みを行ってください。受講資格などはありません。一般社会人の方も受講できます。受講料は無料です。
記
日時:4月14日初講日~7月14日(12講義)
△原則的に毎週月曜日5限(16時20分~17時50分)▽
校舎:東京大学駒場キャンパス5号館(予定)
申込先:makoto.asmy@jcom.home.ne.jp(八木淳・東京大学文科3類2年)
*教室や受講内容などの詳細は3月下旬にHP上にて告知いたします。教室等の連絡については、4月上旬教室が決まり次第、告知または受講申込者にはメールで通知いたします。
2月 11, 2008 0. 緊急のお知らせ, 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
2005年4月 1日 (金)
【東大自主ゼミ講座】<2005年度>『アジアのなかの「日本」~戦争の光芒と陰影~』
■講座内容■
国民国家論やポストモダン、ポストコロニアルなどの論考が進んでいるなか、はたして「学問」が、現代社会において何らかのrealityを持ちえているか、あるいは、actualな問題提起や変革へのprogramを形成しえているのかという疑いは、ますます膨らんできているように思います。
本講座では、その問題を、まずは解き明かしていきたいと考えています。いま「学問」する意味は何か? 知識を得るとは何か? それは、学問であるいは知的世界での優位者になるため、つまりは思想の官僚として君臨するためでも、また分断化・分散化した索引的な知識を寄せ集めるのでもないはずです。本講座では、そんな地平を切り開きたいと考えています。
つぎに講義についてですが、先のアジア太平洋戦争期に、朝鮮半島や満州といった植民地と「日本本土」との関わりのなかから生まれた主としては文学作品を数編あげて、それらを精読することで、アジアのなかの「日本」という存在を論考したいと考えています。国際化(globalism)や経済や文化の海外進出という現代的状況と、戦時期の「国際化」「海外進出」との位相を論考するとともに、「公(おおやけ)」という領域と「私(わたくし)」といった対立概念を解体し、「公」という概念に集約される現代的意味にも論を展開していきます。
注)2006年度は秋に開講予定となっております。
4月 1, 2005 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
|
| トラックバック
(0)
2004年3月 5日 (金)
【東大自主ゼミ講座】<2004年度夏学期>『アジアのなかの「日本」』
■講座内容■
自衛隊のイラク派兵が現実のものになるなか、戦後の世界秩序の枠組みだった「国民国家=主権国家」主義は、右からは高度資本主義体制の言い換えである「グローバリズム」により、左からは「ディアスポラ」や「クレオール」という民族移動や難民の出現によって液状化していると言っていい。もはや、国家が国家たる所以のものは、国境にしろ民族にしろ言語にしろ、そこに根拠として仮託されたレジテマシー(正統性)や擬制を見いだす意味を世界は失いつつある。
こうしたなかでの講座『アジアのなかの「日本」』では、まず現在の「日本」のありようを世界秩序の変容のなかで洗い出し、日本列島という地理的環境によって、一種、自然的「国民国家」の形成をなした歴史を念頭に、アジアのなかで「日本」という国家が、「異質」な形成をなしてきた根拠と現実を思考し、さらに「グローバリズム」のたくらみを検証しつつ、可能性としての「ディアスポラ」「クレオール」の現実を模索してみたい。
具体的には、講義とフィールドワーク、および問題設定における討論を軸に、10時間を予定して講座を展開したい。また、講座修了後、レポート提出を義務づけ、文集として残すと同時に、8月下旬にゼミ旅行として東南アジア旅行を計画している。
3月 5, 2004 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
|
| トラックバック
(0)
2003年3月 5日 (水)
【東大自主ゼミ講座】<2003年度夏学期>『プレイバック1970-「大衆って何?」の社会学』
■講座目的■
2003年現在、戦後生まれが人口の大多数を占めた日本社会にあって、先の戦争の記憶は、ほとんど風化しつつあります。いつのまにか、人びとの多くは中流意識に沈殿し、都市化を生活における至上原理として崇拝し、農業人口は5%を切り、かって日本の高度経済の柱であった工業・製造業の人口も減少の一途をたどっています。
そうした状況は、高度成長がはっきりと成果をあらわし、ドルショック、石油ショックにより、一挙に暗転する1970年代半ばから顕著になりました。この時期には、戦後の教育改革で誕生した新制高校の卒業者が人口の半数を占め、短大や大学の進学者が30%近くとなり、大学の大衆化、学卒インフレの時代と呼ばれた時代でもありました。そして、1985年のプラザ合意以降、急激な円高にともなう大衆消費時代が到来し、ヨーロッパの高級ブランドがたやすく庶民の手に入る時代風景を生み、バブル景気の到来は、まさにこのころから大衆に「拝金主義」を浸透させることになりました。
本講座では、こうした大衆動向や社会動向を通じて、1970年代からの日本社会における大衆の実像を隈取り、またその変容をたどりたいと考えています。その際、政治や経済の変動という視点を含みつつ、風俗やサブカルチャーなど「流行(モード)」への考察を土台とし、現在の「若者」である受講生諸君の時代認識の深化をはかりたいと思っています。
3月 5, 2003 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
|
| トラックバック
(0)
2002年3月 5日 (火)
【東大自主ゼミ講座】<2002年度>『「在日」の現在 ~「にっぽん」という国で暮らすこと~』
■講座目的■
歴史的に言っても、日本はまわりを海に囲まれ、黒潮も親潮も外部からの文化を伝来するには大きな役割をはたしたが、内発的な文化が海流の壁を越えて外に向かうことは少なかった。したがって、文化を吸収することに日本人は大胆ではあったが、自らの文化を外に向けて発信することはなく、いわば、文化・文物の受け手としては積極的であるが、外国人との関係や文化の混在については、きわめて内向的な性格を築いたといえる。そして、それが外国人との関係において現代においても奇妙な「ねじれ」として残存する。
. 昨今、日本には多くの外国人が居住する現実がある。それは古くは在日韓国・朝鮮人、あるいは華僑や中華人から、1990年頃までのバブル景気のなかで、出稼ぎ者としてやってきた南米、イスラム系、東南アジア系の人々など、その多様性は拡大し、また各「在日」のありようも、祖国の貧困、南米の日系2世・3世の出稼ぎ、農村の嫁、ビジネスチャンス、売春、犯罪、政治亡命などさまざまの状況が見て取れる。それと同時に、それら「在日」の人びとが集まるコミューンも形成されつつある。
そこで、本講座では、そうした「在日」の現在の諸問題への認識を深め、あわせて国籍問題などこの国の「在日」外国人への対応、また、日本社会のなかにおける「在日」の位置と日本文化との関係などを、豊富なフィールドワークをおこなうことで、確認し論考したい。
3月 5, 2002 2. 東大自主ゼミ講座 | Permalink
|
| トラックバック
(0)